批評の手帖

浜崎洋介のブログです。ご連絡は、yosuke.khaki@gmail.comまで。

『小林秀雄の「人生」論』(NHK新書)を出します!

 人生初の新書((NHK新書)を出します! 題して、『小林秀雄の「人生」論』。
 この本が出るまでには色々あったんですが、ここは「あとがき」の文章をそのまま使った方が早い気がするので、まずは、それを引用しておきましょう(〔 〕で少しだけ補足しておきます)。

 小林秀雄の『ゴッホの手紙』のなかに、「生来我が強く短気なおかげで、人生に生きる智慧の最上の部分は、何かをやっつけることのなかに隠れていると、早くから経験によって知った」という一節がありますが、今回の仕事ほど、この「やっつける」ことの意味を思い知らされたことはありません。こういう機会でもないと、いつまでたっても小林論は書かなかったかもしれないという気もしますが、しかし、こういう機会が、こういう風に訪れるとは、全くもっての予想外で、その意味で言えば、この本は私にとって、ほとんど「事件」といっていいものになりました。
 最初、ゆっくりと半年から1年ほどかけて小林論を用意しようと思っていた私のところに、出版社から、「どうしても、今、書くことはできないか」と相談を持ち込まれたのが9月の終わり〔たしか、『クライテリオン』11月号の編集作業が終わった直後でした〕。それで10月初めまでに口述筆記を済ませ(口述に使ったのは9月29日、30日、10月1日の3日間でした)、その整理を2週間で済ませるという気も狂わんばかりのスケジュールに追い立てられながら、なんとか脱稿したのが10月20日(そして、校正を済ませたのが22日=校了)。それは、まさに小林秀雄を「やっつける」というにふさわしい日々でした。
 もちろん、ある程度の用意がなかったわけではありません。が、それは、修士論文小林秀雄を扱って以来、折に触れて小林を読み返してきた記憶を主なものとせざるをえませんでした。しかし、今となっては逆に、それが良かったのかもしれないとも思います。
 それは、私が私において「上手に思い出す事」(小林秀雄「無常ということ」)を試されたということもありますが、それ以上に、小林秀雄という文学者の人生と思想を、ある程度まで俯瞰的に、そして分かり易く纏め上げるためには、こういう外からの強制力がないと無理だったかもしれないと思うからです。そうでないと、おそらく私は、小林の一言一句に拘りながら、この本を、もっと「文学的」に書いていたはずです。編集者のお二人を前に、講義するように口述したからこそ、ハイデガーだのウィトゲンシュタインだのという名前も出てきたのでしょう。
 いずれにしろ、この本が私にとって、決定的な本になったことは変わりありません。色んな意味で全力を出し切りました。もっと用意ができていたら…、もっと文献を読み込めていたら…、もっとゆっくり文章が書けたなら…、言い訳は幾らでもできます。が、『ゴッホの手紙』のなかで小林自身が言うように、人は「悪条件」の中でのみ、「人生の評論化を全く断念する」ことができる——つまり、人生を意識的にコントロールすることを諦めることができるのです。しかし、だとすれば、その「悪条件」は、そのまま、私が私の無意識と出会うための〝最良の条件〟にもなり得るはずです。果たして、それが最良の条件となったのか、悪条件のままに留まったのか、それは読者の判断を待つしかありません。

 ……ということです。あとは、「では、何でそんなスケジュールになってしまったのか」という疑問と、「何で、そんな無茶な仕事をお前は引き受けたのか」という疑問が出てくると思いますが、その答えは単純です。
 まず前者について言っておけば、端的に「出版社側の都合」と言うよりほかはありません。私の企画も含めてですが(汗)、どうも色々と滞っている企画が多いらしく、20年以上続けてきたNHK新書の歴史で初めて穴が開く可能性があったということですが、そこで白羽の矢が立った——というよりは犠牲に供せられた(笑)——のが「浜崎」だったというわけです。スケジュールの問題はそれ以上でもそれ以下でもありません。
 あと、二つ目の「では、なんでそんな無茶な仕事をお前は引き受けたのか」という点についてですが、それはひとえに編集者との関係です。正直言って、今回の仕事は断った方が無難でした——実際、断ったからと言って企画がボツになるわけでもなかったし、今回のスケジュールでは本当に書き上げられるかどうかも分からなかったわけだから、断った方がお互いに傷つかないで済んだのは事実です——、が、そのとき頭をよぎったのは二つの事(言葉)でした。
 一つは、デビュー当時から目をかけてくれて、今まで色々と助けてくれた倉園さん(『三島由紀夫 なぜ、死んでみせねばならなかったのか』の編集者)が困っているときに一肌脱がないのは男じゃないということ(私には、そういう利害得失を超えて仕事をすべきだと考えている編集者が4人います)。そして、もう一つ大きかったのは、以前お会いした時に養老先生にかけていただいた言葉でした。養老先生は言います。
 「よく人は『クリエイティブ』って言うけど、でも、その本当の意味は個性的なんてことじゃなくてね、自分の前に『先が見える道』と『先が見えない道』があったら、「より先が見えないほうを選ぶ」っていうことなんですよ。生きるって、そういうことなんです」(『AI支配でヒトは死ぬ。 ―システムから外れ、自分の身体で考える』ビジネス社)
 しかし、それなら「倉園さんと、より先が見えないほうを選んでみるか・・・」というのが、その時の私の正直な気持ちでした。
 それからというもの、まずは「これから20日間、家事が一切できなくなる」ことに対する妻の了解を取り付けて、既に組んである仕事以外をシャットアウトして始めたのが今回の本の執筆でした(とはいえ、既に組んでしまっていた仕事も結構もあり、そのために最後は、本当にギブアップ一歩手前でしたが…)。それが、果たして吉と出るのか凶とでるのか・・・。私自身、未だこの本をゆっくりと読み返せてはいませんが(汗)、この本を書いたことで一皮むけたことだけは確かです。もう「条件」を問わず——つまり「文学研究」という名の温室を完全に無視して——何でも書ける気がします(笑)。
 書き終えたときの感覚だけで言えば『福田恆存 思想の〈かたち〉』を書き終わったときの感覚に似たものがあります。が、それは多分、「書けるか書けないかのギリギリの線で気張ったこと」が原因だと思います(笑)。いずれにしろ、「これまで見たことのない小林秀雄論であると同時に、また、極めてオーソドックスな小林秀雄論」が書けたと思います。体裁も「新書」ということで、誰にでも分かり易いように書いています。是非、手に取って確かめていただければと思います。何卒、よろしくお願いいたします!

 最後になりましたが、倉園さん、高松さん、本当にお疲れさまでした。色々ありましたが、今回のことはつくづく勉強になりました。ありがとうございました。