『表現者クライテリイオン』最新刊(2026年9月号)が発売になりました!
リニューアル後の最初の号であり、「表現者クライテリオン」改題50号でもある本号は、表紙を見ても分かると思いますが、まさに「新体制の船出」に相応しい号となっています。手にとって確かめて頂ければ幸いです。
とはいえ、私自身は編集委員を降りた身なので(…汗)、自分が関わった仕事と、ザっと読んだ限りでの雑誌の見どころについて簡単に触れさせて頂ければと思います(実際、誌面の詳細については、雑誌を手に取るまで何も知らされていません・笑)。
まず、私自身の仕事は以下の二つとなります。①今号の特集である「『寛容』という暴力—あるいは健全な自文化中心主義(エスノセントリズム)の擁護」の冒頭座談会「移民受け入れの規準は『日本文化』にあり」への参加と、➁「戦後精神史入門」という新連載です。
前者の座談会には、新体制の「編集協力者」でもある施光恒氏、大場一央氏、辻田真佐憲氏と共に参加していますが、「自文化への自信」が必然的にもつ「寛容の限界」についての思考を深める切っ掛けになればと思っています。
また、後者の新連載の初回は、とりあえず「序・再び見出された『現実』のために」と題して書き始めましたが、imidas(集英社)での「保守思想入門」の連載も書き終わったことだし(掲載は後日になります)、「これからの自分自身のメインの仕事」として、気長に取り組むつもりでいます。戦前の精神史を描いた『ぼんやりとした不安の近代日本—大東亜戦争の本当の理由』の続編として、また、『絶望の果ての戦後論—文学から読み取る日本精神の行方』のもう一段深い変奏として書き継ぐことができればと思っています。歴史の素人である文芸批評家がどこまで書けるかは分かりませんが、ご興味があればお、新生『表現者』と共にお付き合い頂ければ幸いです。
…で、自分の仕事の告知はそのくらいにして、次は、刷新された誌面ですが、まず冒頭から、巻頭オピニオンで、柴山さんのボリュームのある社会批評が読めることは有難い。お世辞抜きで、今の我々が置かれた現在地を柴山さん以上に的確に分析できる人を私は知りません。また、巻頭コラムとして、伊藤貫氏と小幡敏氏の競作—性格の違うベテランと新鋭の競作!—が読めるのも嬉しい。これで雑誌の幅と奥行きの深さを確かめることができます。
その他、小特集「『皇室典範改正』論議の空虚」では、今回の改正手続きに疑義をもつ片山杜秀氏と、逆に、今回の改正に意義を見出す新田均氏への長尺インタビューを載せ、また、「追悼 桶谷秀昭—孤高の思想家は何を遺したか」(新保祐司氏×山本直人氏×小野耕資氏×富岡幸一郎氏)として、桶谷秀昭論を展開しているあたり、「思想誌」の名に恥じない誌面作りになっているのではないでしょうか。また、「思想」ついでに言うと(笑)、今回から立ち上がった新企画「覆面座談会—流行思想解剖」も見逃せません。第1回は「國分功一郎の確かな『敗北』について」と題して、哲学者の國分功一郎氏の『天皇への敗北』(新潮新書)を取り上げ、リベラル論壇の論理的陥穽(偽善と感傷)を徹底的に剔抉しています。
その他、大場一央氏、川端祐一郎氏、小幡敏氏による新連載も始まりました。どれも私自身が読みたくなる評論・記事ばかりですが、ご興味があれば是非一読頂ければと思います。
また、最後になりましたが、これからの『表現者』の方向性と覚悟については、冒頭にある「読者の皆様へ」(規準社・近藤晶生)と、巻末の「編集後記」を読んで頂ければと思います。
以下は、編集部が書いた巻頭言と目次です。参考にして頂ければ幸いです。
巻頭言
「多様性」や「寛容」という言葉がドグマとして蔓延した現在の言論空間において、移民増加等に向けられる生活実感に根ざした感情は「排外主義」というレッテルによって抑圧されている。
しかし、人類は具体的な共同体の中で生きることが運命づけられており、その共同体によって育まれた価値体系の中で世界を見、ものを考え、幸福を感じ、善悪を判断する。ゆえに、その価値体系を根本的に突き崩そうとするものが現れた時、それに抵抗しようとするのは人間の自然なる防衛本能である。
もちろん、既存の価値体系は完全に閉じられたものではない。新奇なもの、異質なものとの出会いを、ただ恐れるだけでなく喜んで迎え入れ、自らを変容させていくこともまた自然の心性である。だからこそ、私たちは何を迎え入れ、何を拒むべきか、いま厳しく問われているのはその境界のクライテリオン(=規準)である。
どこまでも曖昧に移民を受け入れ、境界を溶解させていく政府の態度は、自己の輪郭を失い、自他の区別を截然とできなくなった日本人の精神の反映に他ならない。本誌はこの困難な時代にあらためて「寛容」や「排外主義」といった言葉の再定義を試みる。そして、人々の声なき不安を生活者の権利としてすくい上げ、「健全な自文化中心主義」をどの文化も当然に持つべき態度として提示する議論を展開することとした。
表現者クライテリオン編集部
目次
【巻頭オピニオン・コラム】
・「極」の擁護/ 柴山桂太
・伊藤貫のワシントン・ラプソディ 「アメリカによる世界一極化」という妄想/ 伊藤 貫
・非国民のすゝめ 秩序は嘲笑すべし/ 小幡 敏
【特集:「寛容」という暴力──あるいは健全な自文化中心主義(エスノセントリズム)の擁護】
◆特集座談会
・移民受け入れの規準は「日本文化」にあり/ 施 光恒×大場一央×辻田真佐憲×浜崎洋介
◆特集論考
・不寛容なくして寛容なし 歴史を貫く寛容のパラドックス/ 森本あんり
・日本で「統合政策」は可能なのか/ 川端祐一郎
・「神国日本」が拒絶したもの/ 三浦小太郎
・共同体の境界設定と共存の作法/ 中田 考
・受託の責務としてのナショナリズム 「責任なき寛容」の暴力を越えて/ 白川俊介
・レッテルが言論を閉ざすとき 「寛容」はなぜ排除へと反転するのか/ 佐藤慶治
【小特集:「皇室典範改正」論議の空虚】
◆インタビュー
・覚醒か、日本の滅亡か 熱量なき改正は皇室を破壊する/ 片山杜秀
・令和の正統論と保守派が直視すべき覚悟/ 新田 均
【特別座談会】・追悼 桶谷秀昭 孤高の思想家は何を遺したか/ 新保祐司×山本直人×小野耕資×富岡幸一郎
【連載】
・覆面座談会 流行思想解剖 第1回 國分功一郎の確かな「敗北」について 『天皇への敗北』を読む
・虚構と言語 戦後日本文学のアルケオロジー 第四十五回 世界潮流の中の日本 憲法九条はどこへゆく/ 富岡幸一郎
・満洲こぼれ話 第7回 平民列伝①/ 小幡 敏
・戦後精神史入門 序 再び見出された「現実」のために/ 浜崎洋介
・「農」を語る 第1回 「武」に通ずる「農」/ 荒谷 卓×小野耕資
・儒学者たちの実存と実像① 孔子 「門弟三千」の孤独としくじり/ 大場一央
・考える機械を考える 第1回 「考える機械」は本当に考えているのか/ 川端祐一郎
あと、以下は、最近出した動画の2本です。こちらの方も、よろしければ是非。
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