批評の手帖

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福田恆存アンソロジー『保守とは何か』(文春学藝ライブラリー)が出ます!

 いよいよ、10日後に福田恆存アンソロジー『保守とは何か』(文春学藝ライブラリー)が刊行されます(10月16日予定)。今秋、文藝春秋社が満を持して刊行開始する「文春学藝ライブラリー」の第一弾です。この度、私が、その中の一冊の編集と解説を担当させていただいたわけですが、この際だから言い切ります。これまでの福田恆存の「保守像」を刷新する最良のアンソロジーになっているはずです。絶対に買って損はありません!
 80年代以降のポストモダニズムの軽薄を潜って、90年代以降の加速的グローバリズム過剰流動性)とニヒリズム相対主義)に晒され切った今こそ、福田恆存の言葉は読まれるべきだと信じています。福田の言葉がより多くの人に届くことを願っています。

 以下は本書の「内容紹介文」です。担当のNさんには心から感謝申し上げます!

 「私の生き方ないし考へ方は保守的であるが、自分を保守主義とは考へない。保守主義などといふものはありえない。保守派はその態度によつて人を納得させるべきであつて、イデオロギーによつて承服させるべきではない。」福田恆存が戦後の時流に抗して孤独のなかで掴んだ、「主義」ではなく「態度」としての保守。
 時事的な論争家、文芸評論家、脚本家、演出家、シェイクスピア翻訳者など多くの顔を持つ福田恆存は、「保守論客」と位置づけられながらも、その「保守」の内実は、必ずしも十分に理解されてきたとは言い難い。福田恆存にとって「保守」とはいかなるものだったのか――本書は、その問いに迫るべく、気鋭の若手論客が編んだアンソロジーである。
本書の構成は、以下の通り、I~Vまで、年代順であると同時にテーマ別に構成されているが、福田恆存の思索自体が、問いに対する答えを一つずつ腑に落としながら、時代ごとに形成されたものにほかならないからである。
 「I 『私』の限界」〔九十九匹(政治)には回収できない一匹(個人)の孤独とその限界をみつめた論考〕。「II 『私』を超えるもの」〔近代個人主義の限界で、エゴ(部分)を超えるもの(全体)へと開かれていった福田の論考〕。「III 遅れてあること、見とほさないこと」〔近代=個人を超える「全体」を「伝統」として見出しながら、それを「主義」化できないものとして受容しようとした論考〕。「IV 近代化への抵抗」〔戦後を風靡した合理主義と近代主義に抵抗した論考〕。「V 生活すること、附合ふこと、味はふこと」〔「生活感情」に基づき、主義ではない、生き方としての「保守」の在り方を示したエッセイ〕。
 旧来の「保守」像と「福田恆存」像を刷新する本書は、今日、最良の「福田恆存入門」であると同時に「保守思想入門」である。