批評の手帖

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「大阪都構想」批判12―藤井先生を応援します。

 いよいよ、〈大阪市解体構想=大阪都都構想〉の是非を問う住民投票が明日に迫りました。
 今さら、私が「大阪都都構想」を批判するまでもなく、少しでも情報を正確に知ろうとしている皆さんにはそのデタラメさは明らかだと思います。
 しかし、この度の「大阪都構想」をめぐる賛成、反対の一連の論争を見ていて思い知らされたのは、①いかに日本のメディアが死んでいるのかということ。また、②大阪人の東京コンプレックスと、東京人の大阪への無関心とが組み合わさった時、いかに危機的な事態が出来するのかということ。そして、③その劣等感と無関心の「負の心情」のアマルガムが、いかに「全体主義」の温床として機能するのかということでした―まさにこの状況を加速させたのがナチス台頭時のドイツの「大衆社会」でした。
 それに加えて言わせて頂ければ、この度のことで、「リベラル」は言わずもがなですが、「保守論壇」のセンスのなさもまた炙り出されました。安倍・菅コンビの「憲法改正」を「飴」のようにチラつかされて黙っている連中、また、官僚権力へのルサンチマンを〈規制緩和新自由主義〉の甘い夢で晴らそうとしている連中を含めて、いかにこの国において「常識」が払底しているのかということを改めて思い知らされました。正直、ここまでとは思っていませんでしたが、この度の「大阪都構想」が万が一賛成多数で通ってしまうようなことがあれば、現状認識の甘さを私自身も深く反省しなくてはならないと感じています。
 いや、もっと踏み込んで言ってしまえば、「大阪都構想」についての特別な情報などいらないのです。あの橋下徹市長の「語り口」を見た瞬間、その「うさん臭さ」に気づくべきなのです。その人間が、いかに「偽物」なのかに気づくべきなのです。政治をするのは「政策」ではなく、「人間」なのですから。そんなことが分からなくなってしまったということそれ自体が危機なのだと思います。
 今こそ、福田恆存が孤独に闘った〈国語国字改革=改悪〉のことを思い出すべきです。覆水は盆には返りません。

 しかし、最後に肯定的なことを一つ言えば、はじめこそ「大阪都構想」賛成派が圧倒的に優勢であったにもかかわらず、反対派がここまで拮抗できるようになったのは、まさに藤井聡先生を中心とした言論人、学者先生方の啓蒙活動があり、また、それに耳を傾けることのできた日本人がいたからこそです。
 その意味では、橋下市長は、藤井先生という人間を舐めすぎていた。もちろん、私にはそんな能力はありませんが、日本に、藤井先生のように「無私」において政治を徹底できる人間が一人でもいたということが心の底から救いだと思っています(考えても見てください、「国立大学教授」で「内閣参与」の肩書きを持つ藤井先生が「大阪都構想」批判をすることがいかに難しく、かつ立場上不利なのかを! また、一人の言論人が、あれだけの圧力とバッシングを受けながら、なお言論だけで自分の信念を貫き通すことが、いかに難しいことなのかを!)。藤井先生が、今、この日本に必要な人であることを再確認できたことが唯一の収穫でしょうか。というより、「もし、今の日本に藤井先生がいなかったら」と考えると、そら恐ろしい。

 この『「大阪都構想」批判―藤井先生を応援します。』のスレッドも、この第12回で最後になると思いますが、しかし、最後は「ユーモア」で締めたいと思います。
 以下は、この度の論戦で一番ツボに嵌った動画です。もうご存知の方も多いかとは思いますが、改めて、警鐘の意味も込めて、ヒトラーによく似ている「橋下徹総統」に再び登場してもらいましょう。