批評の手帖

浜崎洋介のブログです。ご連絡は、yosuke.khaki@gmail.comまで。

二人の友人の活動のご紹介(小幡敏氏の新刊と、前田一樹氏のメルマガ)

 自分の仕事ばかり告知しているこのブログですが(…というのも、それ以上に広げてしまうと本当に切りがないのでw)、今回は例外です。
 まずは、私の年少の友人である小幡敏氏が、去年の『「愛国」としての「反日」』(啓文社)に続いて、来月7月の19日に新刊を刊行します。書名は『忘れられた戦争の記憶—日本人と"大東亜戦争"』(ビジネス社)です。「贅言は不要、ただ読めば分かる」と言いたいところですが、そう言っていても、なかなか本を手に取ってくれないこのご時世、敢えて声を大にして言っておきます。これは、数十年に一度の仕事、一世一代の日本人の大仕事です。
 私自身、まだ自衛隊にいた頃から小幡さんの文章(短い寄稿文)を読んで来ましたが、まさに、これまで書いてきたことの総決算です。こう言っては、小幡さんに失礼かもしれませんが(汗)、この本のゲラを読んだとき、一人の才能ある「物書き」が誕生したことを私は確信しました。しかも、これは本人の自覚とは無関係です。
 たとえば、ゴッホは、本当は画商で上手くやっていきたかったのかもしれないし、あるいは牧師で生涯を全うしたかったのかもしれない。でも、〈自然=神〉は、それをゴッホに許さず、結局は「画家」の道を強いることになりました。もちろん、ゴッホと小幡敏は違います。が、私の眼に小幡敏は「物書き」を強いられているように見えたことは間違いありません。いずれにしろ、それだけの強度を感じさせる作品です(私は泣きました…)。
 以下に、Amazonの紹介文を貼っておきます。是非、是非、手に取って頂ければと思います。よろしくお願いします!

 大東亜戦争『戦記』と日本精神
死線上の男たちの、地獄に咲いた生命の輝き
現代人に忘れられた存在となっている大東亜戦争の「戦記」。しかし「戦記」は単なる昔話ではない。地獄を彷徨い歩いたのは私たちの父であり、祖父である。戦後我々は、日本の兵隊たちをただの「運が悪かった人」にしてはいまいか。我々は、その酸鼻を極めた行路を、たとえ不完全なものであれ、ヴァーチャルに過ぎないものであれ、辿っておくべきだと思う。それが自身のひとつの試練となり、躓きの石となる意味においてはじめて、父祖たちの経験は私たちを教え導くものになり得るのだ。直前まで「平和で文明的な日常」を送っていた我々の父、祖父たちが、ニューギニア、シベリアなどにおいて、死線をさまよう極限状態の中で人間の美しさ、醜さをどう表したのか。日本民族の伝統精神や文化性が、どう生き様に表現されたのか。数多ある「戦記」の中から、著者独自の視点で選び抜いた「珠玉のメッセージ」を引用し、見出していく。

mail.os7.biz
 また、クライテリオン体制になってからの表現者塾一期生で、私個人の私的勉強会にも参加している前田一樹氏(30代・教師)が「表現者塾信州支部メーリマガジン」の発行をはじめました。これはお世辞抜きで、本当に気持ちのいい、誠実なメルマガです。
 日々の生活や、出来事から感じ取ったことを、『表現者クライテリオン』の記事や、保守思想と関連づけながら、そう簡単に仲間も見つからないだろう長野の山奥(木曽)で一人で手探りしながら思考している姿が私を惹き付けます。「まず、素直に踏み出してみる。すると何かが動き出す」、それをこの5年間で実感した人間のメルマガです。私も一人の読者ですが、もし、ご興味がありましたら上記のサイトからメルマガ登録をしてみるのはいかがでしょうか。
 こういう時代、人は孤立してしまうと「妄念」(イデオロギー)に憑りつかれます。その妄念を克服するには「対面」を維持した交流と、その交流を基盤にした思考を続けるしかありません。その思考者が思考者を励ましていく循環、その好循環を加速していければと思っています。是非、よろしくお願いします!