批評の手帖

浜崎洋介のブログです。ご連絡は、yosuke.khaki@gmail.comまで。

「私立Z学園の憂鬱」の続き(4話~5話)の紹介と、「財政破綻論」批判を理論的に裏付けるMMT(現代貨幣理論)の「解説動画」のご紹介

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 さて、いよいよ消費増税凍結のタイムリミットが迫ってきましたが、改めて消費増税批判マンガの「私立Z学園の憂鬱」のご紹介をしておくとともに、消費増税論者が説く「財政破綻論」に対する根本的かつ原理的批判理論である「現代貨幣理論」(Modern Monetary Theory=MMT)の「解説動画」(中野剛志氏と青木泰樹氏による解説)をご紹介しておきます。どちらの動画も、素晴らしく明晰です。
 もちろん、私自身は経済学の素人ですが、それでも、かつてのポスト・モダン左派(NAM)の影響もあって(お恥ずかしい限りです…汗)、折りに触れて資本主義論には触れて来ました。が、この度話題のMMTには「積極財政論」を支える透徹した原理性を感じます。
 そう思うと、95年頃からひっきりなしに言われてきた、あの脅迫的な「財政破綻論」は何だったんだと言いたくなってきますが(あの制度経済学者の金子勝氏でさえ財政破綻の危険を説いていましたからね…というか、未だに説いていますが)。しかも、MMTに依拠すれば、例えば、かつて岩井克人氏なんかが『貨幣論』で論じていた「貨幣法制説」と「貨幣商品説」の対立を乗り越えると同時に、岩井氏も論じていない「貨幣価値」の根源的意味を明らかにすることができるのです(岩井氏は「貨幣価値」をマルクスの価値形態論から説き起こし、それを「循環論法(貨幣が貨幣として流通しているのは、それが貨幣として流通しているからでしかない=クラインの壺?)」に持って行っただけでした。いかにも脱構築的で非実践的な議論ですが、この貨幣(オリジナル)と仮想通貨(コピー)の区別を排すような議論がポストモダン的だと言えばポストモダン的だったのもかもしれません。
 それに対して、MMTの貨幣論は「事実」に即していますが、それが例えば、カール・ポランニーなんかの「擬制商品論」(つまり、「貨幣」は単なる「商品」ではなく、むしろ商品交換を支える基盤であって、それの背後には共同体=国家への信用がピッタリと張り付いている)や、モースの『贈与論』なんかから私が勝手に考えていたことと重なることに、今更ながら驚いています。
 では、現代の「不換紙幣」の価値の源泉とは何なのか(要するに、なぜ人々は単なる数字=紙切れかもしれない非兌換の紙幣を欲しがるのか?)。その背後にあるのが、〈国家=政府〉による「徴税」という事実なのです(税を特定の貨幣で払わなければならないからなのです)。しかし、だとすれば、やっぱり「貨幣」の根源には「国家の力」が存在しているということになる。と同時に、だから「貨幣価値」を作り出す主体であると同時に、通貨発行権の主体でもある「国家」が(自殺願望でもない限り)「財政破綻」することも、「ハイパーインフレ」を引き起こすことも原理的にあり得ないということにもなる。もっと言うと、「徴税」というのは貨幣に価値を持たせるための手段であって、決して「税収」のための手段ではないということが明らかになるのです(逆に言うと、だから「徴税」し過ぎると貨幣の価値が上がり過ぎて、デフレになるのです!) これがMMTが「積極財政論」の後ろ盾になる強力な理由であると同時に、デフレ下での「消費増税」が論外であることの原理的意味です。(さらに言えば、それこそが、〈国家=力〉を背景とした「貨幣」(日本銀行券)が単なる「仮想通貨」(バブル)ではないことの意味でもあります)。
 と、まぁ素人の経済談義はこれぐらいにして、是非「解説動画」をご覧いただければと思います。これによって、消費税増税批判を徹底できると同時に、積極財政論(デフレ脱却)の基盤も作れるはずです。よろしくお願い致します!

 ちなみに、ウェスタ川越での芸術文化史 日本文学『批評は、なぜ小林秀雄から始まったのかー「様々なる意匠」を読む』 | ウェスタ川越 多彩なふれあいによる地域活力の創造拠点というミニ講座の募集は定員に達しため、募集を締め切ったそうです(現在キャンセル待ちに案内に切り替えている様です)。ご応募頂き、ありがとうございました!