批評の手帖

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産経新聞に、岸田首相暗殺事件についてコメントしました。

www.sankei.com
 告知するほどの記事でもないかもしれませんが、昨日、電話インタビューで答えた内容が産経新聞に載りました。
 しかし、クライテリオンで「『岸田文雄』はニッポンジンの象徴である~“依存症”のなれの果て~」を特集した直後の首相暗殺未遂事件。起こるべくして起こったという印象がぬぐえません。
 人は普通、「直接行動」に至るまでには幾多のストッパーを持っています。家族、親族、恋人、友人、地域、職場etc…、しかし、それらのストッパーが全部壊れているとしたら…。彼/彼女は、一挙に「国家」に訴え出るか、「宗教」に救いを求めるしかなくなります。そして、そのどちらもが自分に応えてくれないと悟ったとしたら…。手は自己救済しか、つまり自殺かテロかしかなくなるはずです。その結果が、前回の安倍晋三暗殺事件であり、今回の岸田首相暗殺未遂事件でしょう。
 かつて、オルテガは書いていました。
「現代の国家は最も目に鮮やかな文明の産物である。・・・大衆は国家を見て讃嘆し、自分の生を保証するものとしてそこにあることを知っている。・・・一方、大衆は国家のなかにいわばのっぺらぼうの権力を見ている。そして彼自身も自らをのっぺらぼう――凡人――だと感じているので、国家を自分自身のものと信じ込んでいるのだ。ある国の社会生活になんらかの困難、軋轢もしくは問題が襲ったと想像してもらいたい。そのとき大衆は即座に国家がその問題を引き受けて直接責任をとり、その困難をその巨大で反論の余地のない手段を講じて解決してくれることを要求するだろう。これこそ今日、文明を脅かしている最大の危険なのだ。すなわち生の国有化、国家の干渉主義、国家によるすべての社会的自発性の吸収である。」
 と…。まさに、ネオリベで荒廃し切った生活世界を襲ったものこそがコロナ禍であり、そのなかに現れたものこそ「生の国有化」(全体主義)への欲望だったと言えますが、そのなかの一現象(国家へのルサンチマン)としてここ最近現れはじめているのが、国家要人を狙ったテロ事件だと考えられないでしょうか?
 いずれにしろ、生活世界の溶解が止まらない限り、この手のテロは起き続けるでしょう。……と、記事よりも長く書いてしまいましたが(笑)、一読していただければ幸です。