批評の手帖

浜崎洋介のブログです。ご連絡は、yosuke.khaki@gmail.comまで。

「安倍晋三―この空虚なる器」を特集した『表現者クライテリオン』の最新号(2019年11月号)が発売になります!

 いよいよ『表現者クライテリオン』の最新刊(2019年11月号)が、表紙も新たに発売になります(書店には16日前後に並ぶと思います)!
 この度の特集は、一点入魂、ただ「安倍晋三―この空虚なる器」を問うています。ともすれば、「親安倍」「反安倍」という不毛なポジショントークに落ち込みがちな主題ですが、今回の特集では、その悪弊を回避しながら、どうやって安倍政権を批判・検証できるのかを真剣に考えています。詳しくは本誌を読んでいただくしかないのですが、ここでは「特集座談会」(中島岳志氏×藤井聡氏×柴山桂太氏×川端祐一郎氏×浜崎)の冒頭部分を引用することで特集趣旨の説明に代えておきたいと思います(以下の引用は、【藤井聡】保守の、保守による、保守のための「安倍晋三総理大臣」批評 | 「新」経世済民新聞でも読むことができます)。

【座談会】「安倍晋三「器」論――それは如何なる器なのか?」(抜粋)
藤井▼今日はありがとうございます。今回は「特集 安倍晋三 この空虛な器」というタイトルでの巻頭座談ということでお集まりいただきました。編集委員四人、それと中島岳志さんにお越しいただいて座談したいと思います。
 最初にこの特集の企画の主旨からお話しします。二〇一二年十二月に始まった第二次安倍内閣は、戦後誰もなしえなかった長期政権を築き上げています。この十一月には憲政史上最長の通算在任期間を達成すると見込まれています。無論、日本国家の命運は、内閣総理大臣に左右されますから、これだけの超長期政権を築いた宰相はあらゆる角度からの「批評」に晒されなければなりません。
 ついては、改造第四次内閣が組閣され、憲政史上最長の長期政権がほぼ確定した今、改めて政治家「安倍晋三」を多角的に批評する特集を本誌にて企画することとしたわけです。
 そもそも本誌はこれまで、「政策批判」を行ってきた。「批判」という言葉を使うなら、ネオリベ批判、消費増税批判、対米従属外交批判、グローバリズム批判、アンチ・ナショナリズム批判、アンチ・ポピュリズム批判、等々です。これらは多かれ少なかれいずれも、現政権の政策を徹底的に批判する内容となっている。
 本誌にて「政権」でなく「政策」を批判してきたのは、昨年二月に新たに産声を上げた本誌が、特定の政治勢力や政治家個人を批評の対象とするのは、十分な根拠なく政党や個人を批判していると受け取られても致し方ない、だから、昨年の年始に新たに立ち上げられた本誌では、何よりもまず、雑誌の根幹、ないしは思想的土台を築き上げることが先決だったわけです。
そんな認識で、この一年半、政治、経済、そして外交といった様々な側面を「一通り」論じてきましたが、それを通して、思想的土台をおおよそ描写できたのではないかという感触が今はある。やはり、「令和八策」をとりまとめたのは大きかったように思います。
 ちなみに我々が論じた政策論が現政権の批判になっていたのは、偏に「結果論」だった。それだけ、現政権の政策方針は、我々の「クライテリオン=基準」からすれば出鱈目なものだったともいえるわけですが、とにかく、我々は政権を批判するのではなく、ただ政策を批判してきたわけです。そんな中でも今号はついに、政策論を超えた「具体的な政治的批判」を行うこととしたわけですが、その皮切りとして、憲政史上最長の総理在任期間を迎える「安倍晋三」氏を批判、批評の対象に掲げるのは、半ば必然ともいえると思います。
浜崎▼そうですね、必ずしも思想誌が政治家個人を批判する必要はないのかもしれませんが、もはや「政策批判」では間に合わなくなっているという感も否めません。そもそも、どんなに「政策批判」をしようが、それに対して国内のメディア、特に「保守論壇」が全く反応してこなかった。
 その間、安倍政権はやりたい放題で、移民政策にしろ、消費増税にしろ、加憲論にしろ、危機だけを無闇に拡大していった。事ここに至れば、やはり「安倍晋三」という政治家個人の問題を掘り下げつつ、雑誌としても旗色を鮮明にした上で「けじめ」を示しておく必要があるでしょう。
 そもそも、今、ここにいらっしゃる方は、立場の違いはあれど、皆さん「安倍政権」については批判的でした。例えば、私の場合であれば、筆を持ち始めたのは二〇一二年の初めですが、その翌年の二〇一三年の終わりには「道徳は教えられない」(『文藝春秋』十二月号)という文章で安倍政権の教育改革を批判し始めています。また二〇一四年の終わりに「自由を求めて自由を失う──グローバリズムへの警鐘」(『正論』十二月号)を書いて、公約違反のTPP参加を批判し、また二〇一五年の「その場凌ぎの成れの果て──無脊椎国家日本を思う」(『表現者』九月号)では、「改憲」ではなく「解釈」で集団的自衛権を合憲化しようとした政権を徹底的に批判しています。つまり、機会さえあれば声を上げてきたんですが、そうすればそうするほど、「保守論壇」からは煙たがられていった。とはいえ、「安倍政治を許さない!」みたいな幼稚な「リベラル論壇」がいいかというと、もちろん、それもありえない。
 しかし、だったら、まさしく「保守」を名乗っている『表現者クライテリオン』が、保守の、保守による、保守のための安倍晋三批判を一度徹底しておくべきではないか。それによって、言論における「スジ」を忘れた論壇の「空気」を批判しつつ、この「閉ざされた言語空間」を少しでも風通しのいいものにしておくべきではないか、まず、そういう思いがあります。
藤井▼そんな中で、今回の特集が準拠している大きな思想的な着想、ないしは仮説は、「安倍晋三・器論」というものです。この仮説は、本誌編集委員浜崎洋介さんがあるTV番組で強調されていたもので、本誌特集の骨格を成す理論的想定、ということになります。
 この仮説は、「安倍晋三」という存在は、世間で言われている事柄や回りの人たちが口にする様々なものが、その整合性や関連を度外視して、何でもかんでも入れ込まれる、一つの「空疎な器」なのではないか、というもの。
一般的な人格や政策体系というものは、様々な矛盾をはらみながらも、それらの矛盾を飲み込みながら何らかの一貫性を求めて、時に弁証法的に様々な要素を「統合」(インテグレイト)していき、そして、ひとまとまりの何らかの体系が、その人物に固有な形で築き上げられる。しかし、安倍晋三氏においては、そうした統合や弁証法的な一貫性等というものは一旦度外視され、ただただ併置されているのではないか、と考えるのが「安倍晋三器論」です。
 典型的なのが、アベノミクスです。第一の矢(金融政策)はいわゆるリフレ派、あるいは、マネタリズムの主張。第二の矢(財政政策)は主としてケインズ派の主張。そして、第三の矢(構造政策)は、竹中平蔵らに象徴される新自由主義路線です。本来この三つの学派は、相容れないものなのですが、これらの整合性を度外視して、アベノミクスとして一体的に推進されようとしている。
その結果、構造改革を通してデフレ圧力がかけられながら、デフレ脱却のための金融緩和が進められ、デフレ脱却のための補正予算で予算拡大が検討されながら、デフレを加速させる消費増税が繰り返される。つまり、器であるが故にいろんなものが入るものの、結局、統合されていないので、何の成果も得られない。これが「空虛な器」であることの実践的、本質的な問題です。
 それでは、本日の議論の皮切りとして、この「器論」をご提案された浜崎さんから、お話しいただけますでしょうか。
浜崎▼そうですね、「論」というほどのものではないんですが、一度、この仮説に基づいて「安倍晋三」という人間を観察すると、ほとんど当て嵌まってしまうんですね(笑)。
 つまり、安倍首相が問題なのは、サヨクが言うように、彼が「戦前回帰を目論むナショナリスト」だからではなくて、むしろ「戦後そのもののように空虛、かつ幼稚」だからです。その「空虛な器」の中に、サヨク以外の全て、例えば安易すぎる対米追従とか、根拠なき改革主義とか、日本人のナルシシズムとか、保守的な気分とかを注ぎ込みながら、なお、それらがもたらす矛盾と危機について徹底的に鈍感でいられること、そのこと自体が、彼が支持され続けている理由であり、また、安倍晋三という人間の危うさなのではないかと。……(続きは是非、本誌『表現者クライテリオン』でご覧ください!)

 私自身、この特集に基づいて「安倍晋三と『自発的隷従者』の群れ―戦後日本人とニヒリズム」という特集原稿を寄稿していますが、他の寄稿者の皆さん―西尾幹二氏、適菜収氏、室伏謙一氏、田村秀男氏、小浜逸郎氏、堀茂樹氏、佐藤健志氏――の論考と合わせ読んでいただければ、より安倍政権と戦後日本の内実(その空虚さ)が鮮明になるかと思います。
 また、いつもの「対米従属文学論」では、「『国土の荒廃』を読む」と題して、「環境汚染」を扱った石牟礼道子『苦界浄土―わが水俣病』と、「土地開発」を扱った富岡多恵子『波うつ土地』を読んでいます。初めて女性文学を扱った回でしたが、原発問題(福島)にも繋がる主題ということもあって、クライテリオンらしい充実した議論になりました。こちらの方も是非、一読していただければと思います。

 以下は、『表現者クライテリオン』の最新刊の「目次」と「出版社からのコメント」です。よろしくお願いいたします!

内容紹介
【特集座談会】
安倍晋三「器」論 それは如何なる器なのか?/中島岳志×藤井 聡×柴山桂太×浜崎洋介×川端祐一郎
【特集原稿】
安倍晋三は典型的な戦後少年である/西尾幹二
安倍晋三と「自発的隷従者」の群れ 戦後日本人とニヒリズム/浜崎洋介
空虚な器と空虚な言論/適菜 収
移民受入れの拡大に、安倍総理はどんな夢を見たのか Anywheres(根無し草)の安倍政権が描いた机上の空論が日本を破壊する/室伏謙一
経済成長を無視する空っぽの保守主義/田村秀男
何もできなかったロングランナー/小浜逸郎
安倍改憲案は「戦後レジーム」を完成させる/堀 茂樹
【リレー連載】
農は国の本なり 第9回 歴史のなかの安倍官邸農政/田代洋一
【連載】
一言一会 総理は「爽快な器」である/佐藤健志

【連載座談会】
対米従属文学論 第九回 「国土の荒廃」を読む 石牟礼道子苦海浄土―わが水俣病』/富岡多恵子『波うつ土地』 本誌編集部
【連載】
虚構と言語 戦後日本文学のアルケオロジー 第七回 吉田満三島由紀夫/富岡幸一郎
地形がつくる日本の歴史 第九回 徳川家康が生んだ関東平野 ――利根川東遷の謎/竹村公太郎
リアリスト外交の賢人たち ビスマルクの武断主義と避戦外交3/伊藤 貫
問ひ質したきことども 第二回 志士は大衆社会を生き得るか/磯邉精僊
やわらか日本文化論 舶来モノの楽しさと難しさ ――園芸文化と日本人7/施 光恒
だからこの世は宇宙のジョーク 特攻隊員を笑いものにしたトランプ/佐藤健志
思想と科学の間で 失語症の二つのタイプと現代日本人/川端祐一郎
逆張りのメディア論9 新聞に「主張」が増えると危ないわけ/松林 薫
メディア出演瓦版/平坂純一
編集長クライテリア日記 令和元年八月~九月/藤井 聡

【書評1】『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版』シェリー・ケーガン 著/篠崎奏平
【書評2】『7袋のポテトチップス――食べるを語る、胃袋の戦後史』湯澤規子 著/田中孝太郎
【書評3】『憲法学の病』篠田英朗 著/岡﨑祐貴
【書評4】『教育と授業――宇佐美寛・野口芳宏往復討論』宇佐美寛・野口芳宏 著/佐藤慶
【巻末連載】
危機と対峙する人間思考 最終回 共感能力を必須とする二項動態思考が、保守思想の基盤である/野中郁次郎
【連載座談会】
思想の転換点――平成から令和へ 第2回 ポストモダン/新自由主義から、暗黒啓蒙へ(後半) 宮崎哲弥×松尾 匡×中島岳志×藤井 聡

【出版社からのコメント】
二〇一二年十二月に始まった第二次安倍内閣は、戦後誰もなしえなかった長期政権を築き上げ、この十一月には憲政史上最長の通算在任期間を達成する。日本国家の命運を握る存在が内閣総理大臣である以上、これだけの超長期政権を築いた宰相はあらゆる角度から「批評」を受ける責務を負う。
かくして本誌は、「政治家・安倍晋三」を改めて「危機と対峙する保守思想誌」の立場から「批評」する特集を企画した。
そして本特集がその「批評」の縁とするのが「安倍晋三・器論」だ。これは、「政治家・安倍晋三」は一つの「空疎な器」なのではないかという理論的な「仮説」だ。その仮説は、第一にその「器」が様々な要素を飲み込むが故に、時に「大きい器」と見做され、各勢力からの高い支持を誇ると同時に、第二に、その「空疎」さ故に入れ込まれた相矛盾する諸要素が統合・総合されることなく併置され、結果、具体の政策展開が支離滅裂となり、国益が毀損していく――という理論仮説だ。
かくして「安倍晋三・器論」は、「デフレ脱却のためのアベノミクスを推進する」一方で「デフレ化を加速する消費税を二度引き上げる」という相矛盾する施策展開と、それにも拘わらず高い支持率を誇るという事実の双方を矛盾なく「説明」する。
果たして「安倍晋三・器論」は真実なのか―――本特集ではその検証を軸としつつ、我が国の命運を左右する「安倍晋三の器」を改めて問う。