- 作者: 井口 時男
- 出版社/メーカー: 論創社
- 発売日: 2019/01/25
- メディア: 単行本
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ちなみに、今、井口時男『蓮田善明 戦争と文学』(論創社)の「書評」を『表現者クライテリオン』で用意していますが、考えてみれば、『福田恆存 思想の〈かたち〉』以来、これが私にとって、注文なしで書く(つまり、何の要請もなしでゼロから主体的に書く)最初の仕事になります(笑)。しかし、逆に言えば、それほどまでにこの本は、私にとって大事な本になったということです。
その内容について書くと「書評」(あるいはトーク)と重なってしまうので、ここでは遠慮しますが、間違いなくこの本は、「蓮田善明論(研究)」において――あるいは雑誌『文藝文化』研究や、戦時下の国文学研究、三島由紀夫との関係論などにおいて――、それ以前とそれ以後とを分ける分水嶺を作ることになるでしょう(個人的には、蓮田―三島の関係も興味深いのですが、蓮田―唐木の関係も興味深い。そして、蓮田の文学史観が密かに三島の『日本文学小史』や、唐木の『中世の文学』に引き継がれていることなども目から鱗でした。ちなみに言えば、私の学部時代の師匠である相川先生(国文学者、『わび人の変貌』審美社を書かれている)も、「唐木」、「三島」、そして「蓮田」の名を時々口にしていたのでした!)。
しかし、三島や、唐木に比べて「蓮田善明」という名前は一般には知られていない。しかし、だとすれば、「戦後」は、なぜ「蓮田善明」の名前を禁忌としなければならなかったのか。おそらく、そにこそ「戦後」が無視し続けてきた近代日本の問題が凝縮されているはずです。井口時男は、まさに、その戦後文学が切り捨ててきた文学史的な盲点を、冷静に、着実に、そして批評的(境界画定的)に描き出していきます。私が言うのも烏滸がましいのですが、その筆さばきは嫉妬を覚えるほどの見事さです。
蓮田が生きたのと同じ「危機の時代」が今、目の前に迫っています。そのあたりのことについても、会場でやりとりすることになると思います。16日のトークについて、是非よろしくお願い致します!