批評の手帖

浜崎洋介のブログです。ご連絡は、yosuke.khaki@gmail.comまで。

「観念的な、あまりに観念的な―戦後批評の『弱さ』について」(『すばる』2018年1月号)と、「日本人とは、そも何者ぞ」の最終回。

すばる2018年1月号

すばる2018年1月号

 昨日、『すばる』(2018年1月号)が自宅に届きました。
 今回は、「観念的な、あまりに観念的な―戦後批評の『弱さ』について―」という題で長編批評を書いています。来年あたりから書き始めたいと思っている戦後文学論(二誌ほどで連載できればと思っていますが)の「序説=総論」のつもりで書きましたが、もちろん単品で読めるものとしても書いています。『反戦後論』を出してからの最初の長編批評ということになりますが、今回の批評文は、自分の中でも新しい一歩になったと思っています(背中を押してくださった吉田さんには感謝しております。ありがとうございます!)。
 内容的には小島信夫アメリカン・スクール』から説き始めて、大江健三郎江藤淳柄谷行人加藤典洋などを素材に、2017年現在の「アメリカの影」を再論しつつ、吉本隆明小林秀雄柳田国男、そして晩年の江藤淳のなかに「観念」からの脱却の道を問い質しています。一読していただければ幸いです。

 ちなみに「日本人とは、そも何者ぞ」の最終回(第20回)も無事放映されました。こんな企画はもう二度とあり得ないだろうと思っていますが、ひとまず全ての放映が終わってホッとしています。改めて、西部先生、澤村さん、今村さん、窪田プロディーサー、その他関係者の皆さまに心からお礼を申し上げます。ありがとうございました!