批評の手帖

浜崎洋介のブログです。ご連絡は、yosuke.khaki@gmail.comまで。

『表現者』(1月号70号)に「『自立』を問う」を寄稿しました。

 「『自立』を問う」を寄稿した『表現者』(1月号70号)が昨日自宅に届きました。
 この度は、70号記念号ということで「日本国の運命―立憲・核武装保護主義国民主権をめぐって」という大きなタイトルで特集が組まれています。「核武装」という言葉にしても「保護主義」という言葉にしても、ほとんどの日本人は生理的な拒絶反応を示してしまうのでしょうが、いや、だからこそ、それより以前に問われるべきなのは、日本人の「自立」への意志ではないかと考えています。しかし、悲しいかな戦後の日本人は、「自立」ということを今の今に至るまで本気で考えた事がない。その結果として、本来は「外圧」から始まったはずのTPP議論も、グローバリズムの終りの始まりが明らかになった今なお、なぜか日本人が率先してその批准を目指すと言うほとんどグロテスクとでもいうべき事態(何の戦略性も見えない、もはや習い性となっている戦後的温室への固執)を迎えています。左翼ジャーナリズムは、相変わらず平和憲法の妄想のなかで自虐史観と平和外交のナルシズムに浸っているとすれば、保守ジャーナリズムもまた、日米安保という妄想のなかで、自文化礼賛と反中反韓・反左翼のナルシシズムに浸っているに過ぎない。もはや「左」が機能していないのだとすれば、「保守」こそが、政権に対する適切な距離感のなかでバランス感覚を発揮すべきなのでしょうが、この度の天皇の「生前譲位」問題をめぐる「有識者」たちの言葉を聞いていてもそうですが、残念ながら私には、この国の「保守」が機能しているようには思えません。
 「日本国の命運」は暗いと言うべきでしょうか。