批評の手帖

浜崎洋介のブログです。ご連絡は、yosuke.khaki@gmail.comまで。

「毎日ナビゲート」最終回!——『まずは「自分」を守る』

mainichi.jp
 ほぼ毎月一回書いてきた「毎日ナビゲート」ですが、「浜崎」の担当回は、今回で最終回です。
 新年度の紙面改変でコーナー自体がなくなるとのことですが、潮時だったのかもしれません。寂しい気持ちもないわけではありませんが、今年一杯で担当を降りるつもりだったので悔いはありません。いずれにしろ、3年半の連載で私自身が大変鍛えられました。新聞のコラム連載のチャンスを下さった棚部さん、また、担当を引き継いで丁寧な対応をいただいた関さんには、この場を借りて心からの感謝を申し上げます。ありがとうございました!

 最終回は、次回を考えなくていいので、新聞メディアであることを忘れて、本音トークをしています(笑)。以下に全文を載せておきます。短いものなので、是非一読ください!

 かつて福田恆存は、日本人を評してこう言った、「日本人の関心を引くのは、常に心懸けであって行為ではなく、意であって形ではない」(「生き甲斐(がい)といふ事」)と。このナビゲート欄を3年半担当して感じたのは、まさにこのことだった。日本人は、「言っていること」さえキレイなら、「やっていること」を問題にしない民族なのだ。

 事実、ロシアのウクライナ侵攻が始まった瞬間、コロナ騒ぎは吹き飛んでしまったではないか。つまり、あれだけコロナの恐怖を煽(あお)った言葉さえ誰も本気ではなかったということだ。いつも何かの「心懸け」を語っていないと落ち着かない日本人は、状況に合わせて「意」をでっちあげ、その陰に己の見すぼらしい「形」を隠すのである。

 が、この<形を伴わない意>の暴走ぶりは見覚えのあるものではないだろうか。他国を攻撃しながら唱えられた大東亜共栄圏自衛隊日米安保を是認しながらの平和主義、誰も腹を切らないSDGs、みんな「心懸け」だけは立派なのだろうが、その背後には、それを言っておかないと周囲から浮き上がってしまうのではないかという日本人の不安の姿が透けて見える。近代以降、己の<生き方=伝統>に自信が持てなくなってしまった日本人は、その自己喪失の「穴」を、それら集団的スローガンで埋め合わせてきたのである。

 しかし、それなら、ここで「個人主義」のスローガンを語っても仕方あるまい。できることは限られている。この欺瞞(ぎまん)を乗り越えるために私たちは「誰が何と言おうと、これだけは守る」という生き甲斐を見つけることだ。簡単に他人に伝達できない「生き方」の中に自分の楽しみを見つけておくことである。それさえできれば、コロナ騒動だろうが、ウクライナ問題だろうが、それに引き摺(ず)られることはあるまい。「政治」を語るにも、まずは「自分」を守ることである。この言葉を最後に、この小欄を閉じることにしたい。